コ ラ ム 


「ひとつの木がここにあるという事」

〜歴史と生態から保全を考える〜


 ひとつの木にひとつの実がなることは、人間にとってはあまりにも自然な現象に思います。
しかし、ひとつの木にひとつの実がなるまでには、壮大なドラマがあるのです。

 祖先から脈々と受け継がれてきた長い進化の歴史、、、。その遺伝子を受け継ぐものとして、安住の地に一個の実から芽を出してから成長するまでには、他の実生との競争や頭上の大木たちが空間や日光をさえぎる遷移により枯れることもある。時には、大きな台風や干ばつもあるでしょう。厳しい自然の中では、小さいうちに枯れてしまうことは珍しくありません。

 花が咲いたら、植物は簡単に実がなるのでしょうか。
ところがそうでもないようです。植物には、種ごとに持つ生態と、昆虫の生態、鳥の生態、他にも多種多様に繋がりながら生活していますし、同じ植物の花期であっても、近くにある株との開花のタイミングがずれて受粉できない場合も少なくありません。植物たちには、種によって様々な交配様式を持っていますが、往々にして植物にはある程度の集団が必要なのだと実感します。
植物に関わる昆虫とひとくくりに言っても、送粉する昆虫だけでも数多くいます。ひとつの種を1日観察するだけでも、様々な昆虫が関わっている事が分ります。種ごとに多様な生態を持っていて、植物の生態(新葉の展開、落葉、花期や果期)を利用しながら生活しているようです。

 種子散布は、海流、風、重力、鳥の4つからなると言われています。
植物を勉強する上で、鳥散布は大変興味深いものです。
糞を見て美しいという人も少ないと思いますが、糞には重要な情報が残っています。
私も興味を持って観察したことがあります。例えば清瀬で見た糞には、キバンジロウ、グァバ、街路樹のヤシなど、外来種の種子が入っています。夜明道路では、外来種のキバンジロウやアカギに加え、ムニンイヌツゲ、ムニンモチなど固有種の種子が見られ、ここで集落付近に植えられたヤシの種子をみることはありません。
このような種子散布の地域性は、植物の種ごとに異なると思われます。一概には言えませんが、鳥ごとの縄張りや分布域や消化速度など、鳥の生態を解明する事が必要かもしれません。

 話は変わりますが、皆さんは山の自然の魅力をどう感じているでしょうか。
山の自然には、同じ植物が均一の間隔に並ぶ人間の造った庭園にはない魅力があります。
それは、生と死が隣合って存在する厳しい自然だからこそ、生物の放つ一瞬の輝きが眩く感じるからじゃないかと最近思うのです。
そして、私達もその世界の一部で生きています。いろいろな物事を考え、時に開発したり、必要に応じて植栽をしたり、外来種の駆除をします。どのような場合であっても、生物にとって人間が与える影響力は非常に大きく、長年培ってきた歴史を失う事は容易いのです。近年は、生物多様性保全の研究が進んでいます。善意で行った事でも、後々科学が進む事により大変な問題である事が発覚する事も考慮して、慎重に進まなければなりません。これからの保全は、短期間に急いで結果を求めず、長期的な計画をもとに、植物自らが持つ回復力や自然の営みをできるかぎり利用する事が大切ではないでしょうか。反対に、具体的に人間が介入する時には短期間の計画で施行し、定期的に計画を見直すことも必要かもしれません。

 では、なぜ生物多様性を守らなければならないのでしょうか。
遺伝的多様性が失われると、ひとつの原因(例えば病原菌)の侵入で、急に絶滅に至ることもあるようです。多様性を遺すことは、いろいろなタイプのバリエーションを遺すことです。また、それに繋がる生物達を含めた生態系の保全でもあります。

 生物多様性の定義には、「(略)、、人類にとって守るべき価値のある多様性、、(略)」という文言があります。では、小笠原において「人類にとって守るべき価値のある多様性」とは何でしょうか。
小笠原の生物たちは、長い進化の歴史を持った尊い遺伝子を受け継いだ子孫たちです。
小笠原の財産として最も尊いのは、ここでしか見られない生物のオリジナリティーだと思うのです。
現在において、小笠原の植物のオリジナリティーは、世界の他地域に比べて低いといわれています。種は変種や亜種レベルのものが多かったり、交配様式においても変化の途中段階である種もあります。しかし、今後も健全な環境を保全する事ができれば、小笠原の植物はさらなるオリジナリティーを自ら追求し、進化の歴史を刻んでいくのでしょう。人間は、それを妨げないように気をつけなくてはなりません。

 小笠原の植物の研究は、他の分野から見ても一際研究が進んでいるといわれています。
遺伝的多様性についても、小笠原固有種のフヨウ属に多様性があることが分っています。絶滅危惧種や多くの植物を保全するには、今後もっと多くの種について生態の解明と遺伝的な解析が必要です。現在も、小笠原では様々な研究が行われています。

 種内変異である遺伝的多様性から生態系までの多様性を保全することは、容易ではありません。先ず生物の歴史、種ごとに違う生態、遺伝的多様性を知り、大きな生態系を理解することが重要な第一歩です。しかし、今すぐに研究結果が出るものではありませんから、現段階ではなるべく手をつけないか、一定量化したデータを残しておく必要があるでしょう。私達人間が知恵を絞り努力する事は、延いては自然という重要な観光資源を次世代にいい状態で遺すことができると思うのです。

ここで取り上げた保全の話題は、非常に難しい問題です。
私自身の体験や勉強を通して書きましたが
十分に説明が足りているとは思いません。

それでも、このコラムを読んだ何方かが
小笠原の自然に触れた時に
長年培われてきた生命の歴史の神秘や、
巧妙にできている構造や生態の世界について
ちょっとだけ思いを馳せていただければ幸いです。

また、間違いなどありましたらご一報いただけると幸いです。
もっと知りたい方は、こちらの本を読んでみてください。



保全と復元の生物学 (文一総合出版) 種生物学会


「植物の不思議」表紙にかえる。