U.進化する植物たち(固有種と種分化)   <2004.7.30作成>

  島に到着した後生物たちは、、、?

 小笠原は「東洋のガラパゴス」と称されます。それは小笠原諸島がガラパゴスと同じ海洋島で、ここだけにしかない固有の種(自生樹木の70%が固有種)や属(シロテツ属)などがあり、生物の進化の過程が見られるからです。
溶岩でできた裸地にたどり着いた植物たちは、その後どのようにして進化していったのでしょう。。。


 前回(T)にお話したように小笠原諸島に移住できた種は、移住を可能にする仕組みや生態を持つ限られた生物たちだけで構成され、貧弱で非調和な生物相といえます。非調和とは大陸の主要の動植物(ブナ科、マツ科などの陰樹や大型哺乳類など)が欠落している生態的な様子のことです。
小笠原諸島の島の始まりは裸地で、競争相手や天敵もいない状態でした。このため、どこももともといる生物に埋め尽くされていて新たな侵入が困難な大陸や大陸島にくらべ海洋島は生態的地位(ニッチ:分布単位の生息場所)ががら空きです。到着に成功した種は全てではなくともこうした空いたニッチに入って定着していくことができたと考えられています。例としては、小笠原諸島には普通本州では海岸にしか生育しない植物の仲間のオオハマボッスが山の山頂で見られたりしますし、テリハハマボウは海岸植物のオオハマボウが山まで広く分布した結果、分化したと考えられます。


  
固有種って何?種分化する植物たち(適応放散的種分化)。

 植物の種が島に定着して、それからまた百万年から数百万年の長い年月が経っていきます。植物たちは、その間にそれぞれの環境や生態のなかで別々の進化の道をたどっていきました。小笠原固有種の誕生です。
固有種とは、小笠原の場合にはまさに小笠原諸島でしか見られない種のことです。
固有種となった植物の成り立ちは、ある植物の子孫が付近に広まりだし、またその種が風や鳥によってまた島のあちこちに運ばれていきます。すると、それぞれのニッチを取り巻く環境とやそこで得られる栄養の違い天敵の差など総合的な結果として、そこで適応するための進化または必要のないものを捨てる不の進化をして徐々に姿を変化していきました。これが海洋島でたどる植物の進化、適応放散的種分化とよばれるものです。
こうして固有種は、あるものはひとつの種に、あるものはいくつかに枝分かれしながら複数の種に分化していきました。

<小笠原で種分化したムラサキシキブ属>

オオバシマムラサキ

シマムラサキ ウラジロコムラサキ

ムラサキシキブ属では、オオバシマムラサキは湿性高木林の林縁から乾性低木林の林冠に広く分布するのに対して、シマムラサキは乾性低木林の低木層を構成する種で、ウラジロコムラサキは乾性矮低木林に出現します。トベラ科と同じく鳥に実を食べてもらって適応放散で種分化したと考えられます。

樹木になったキク科のワダンノキ

キク科といえば普通草本をイメージしますが、世界の海洋島では、キク科の固有樹木があるという特徴があります。私も見た事はありませんが、ガラパゴス諸島のスカレシア属は雲霧帯の森林の構成種で多様に種分化したり、ハワイのマウイ島でも雲霧帯には銀剣草という植物が多様な種分化をしていて、その中には樹木に近い形態の植物があるそうです。いずれも、草本であった祖先種から、何らかの刺激によって樹木へ進化したといわれています。

  植物のルーツをたどる。

小笠原固有の植物は、日本列島から伊豆七島経由で由来する植物、東南アジアから琉球を経て由来する植物、ポリネシアのほうから来たと由来する植物、ミクロネシアのほうから来たと由来する植物があり、アジア大陸系の植物とオセオニア系の植物の接点になっています。中でも小笠原諸島には東南アジア系の植物が多いのですが、種の分化の程度は比較的低く、比べてポリネシア系の植物は種数は少ないものの種の分化の程度が高く、シロテツ属(Boninia:ミカン科、小笠原固有属)があります。これは、ポリネシア要素の植物が非常に古くから島にを棲みついていて種の分化が進んだ結果なのでしょう。またそれに比べ、東南アジア系や日本列島系は比較的新しい時代に渡ってきたと考えられます。

[小笠原の植物相の類縁関係を示す模式図(豊田、1981)の改変/東洋のガラパゴスを参考]

ルーツや固有種の誕生の話は難しく感じるかもしれません。ちょっと見方を変えてみましょう。
現在小笠原で見られる植物(常時交流のある帰化植物や一部の広域分布種を除く)は、ゆったりとした自然の流れの中でこれから先も進化していく可能性を持っています。みなさんは未来、島の植物がどんな形になっていると思いますか?山で見つけたその植物の未来の姿を想像してみましょう。



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